夏の収穫・せりふを読んでみよう
結局この夏はブログを更新できず、出し忘れた(サボっていた?)宿題をやるような気持で書いております。すみません(-_-;)
真木野ほど厳しいものではありませんが、私も先月、4日間のワークショップに参加していました。日本劇作家協会が主催する、劇作家と俳優のためのせりふの読み方ワークショップ「せりふを読んでみよう」というものです。
今回の講師は劇作家・演出家の川村毅さん。
期待通り、収穫ははたくさんありましたがとても書ききれないので、少しだけお話したいと思います。
その一つは、戯曲のリーディングとはどういうものなのか? その意義と可能性について広く学ぶことができたことです。
海外事情に詳しい川村さんの話では、欧米では頻繁に行われ、本公演よりもリーディングのファンという観客も多いそうです。そして、スター級の役者さんも率先して参加するのだそうで、それは「世界で初めて発語するのは名誉」という気持ちがあるからだと聞き、なんだか胸が熱くなりました。
リーディングの魅力は、演じ手の解釈が入らない状態で、より率直に言葉が響くということ。つまり、それは戯曲を読む楽しさに近いと思います。ト書きも読みますし、それぞれの役の台詞は別々の声で聴こえてくるわけですから、贅沢な読み聞かせをしてもらっているようなものです。
今回が5回目となるこのワークショップは初日と最終日のみ一般公開されていますが、今回は劇作家聴講として十数名が、2日目と3日目も12名の役者さんの取り組みを見学することができました。
日ごろ、最終的なイメージと演出プランはあっても、そこへ辿り着くために俳優に何をどう伝えればいいのか悩むことが多い私は、よその舞台稽古を見学したいなぁ… と思っているのですが、そうそう簡単にお願いできるものではありません。
なので今回、川村さんがどのような言葉で役者に語りかけるのか? それを俳優がどう受け止め、どのように変わっていくのか? その様子を間近で見られることはとてもありがたく、それはそれは勉強になりました。
今回のテキスト『生きると生きないのあいだ』という戯曲もとても面白く、学生時代から劇作を続けておられる川村さんが、ずっと同じテーマを追求されていることにも感銘を受けました。
また“抽象度の高いセリフをどう発語するか?” ということで、『ゴド―を待ちながら』を使っての稽古があったのですが、私にとってはリーディング発表と同じくらい面白く、興味深いものでした。
もう一つの収穫は、劇作家としての指針というか、誇りのようなものを見つめ直すことができたことです。
長いブランクのせいもあってどうも気弱になり、稽古場で「このセリフ言いにくい」「なんかしっくりこない」などと言われると、書き直した方がいいのかな… と考えがちになっていました。
でもそれは考え抜いたセリフです。読み直し、推敲し、また書き直し、それを繰り返した末に選び取ったセリフです。その戯曲を、まず自分が認めたいと思います。
その一方で、劇作家の気持ちを抱えたままで演出にあたっていたのは望ましくなかったと気づかされました。
これは「劇作家と演出家、それぞれ全く別の脳でやる」という、今回の運営担当だった中津留章仁さんのお話が、とても参考になりました。
ワークショップ終了後の交流会で、川村さんと少しお話することができたので、「稽古に入ってから戯曲を手直ししたことはありますか?」と尋ねてみました。
川村さんは「それは全くない」と即答。カッコいいです!
私も、以前からそうあるべきと思ってはいました。しかし思ってはいても、やはり直してしまうこともあって、劇作家が演出を兼ねると多かれ少なかれそういうものではないか… とも思っていました。でもそれは甘えです。その点はより自分に厳しく、今後は改めようと思っています。
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そしてようやく、新しい台本『私の帰る処』古民家asagoro上演版が完成しました。
ここから頭を切り替えて、劇作家から新しい台本を受け取り、演出家としてその作品に挑む気持ちで再演に取り組みたいと思っています。
新しいチラシも目下作成中で、来月初旬にはお見せできると思います。
大まかなデザインは初演の時と同じなのですが、表面の写真は変わっています。この新しい写真、私はとても気に入っているのですが、皆さんはどう感じられるでしょう? そういった感想も寄せていただけると、とても嬉しいです。